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諸行無常

4月 23rd, 2014 at 4:47 PM

サルト

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サルトって、どんな所から来ているんだろう。

サルトは、サンスクリット語で商人やキャラバン隊長を指す「サールタヴァーハ Sārthavāha」に由来し、遊牧民が都市住民を指して使った呼称に起源を持つと考えられている。

「サルト」の呼称が最初に使われ出した時期は、定住民のウイグル人やソグド人を指して使われた、8世紀から9世紀ごろであると考えられている。文献上の最初の用例は、1070年のテュルク語による『クタドゥグ・ビリク』とされる。同書において、「サルト」は、カシュガルの定住民を指して使われており、この時代の用例で、サルトがイラン系、テュルク系のムスリム定住民の総称として使われていたことが分かる。

13世紀にはじまるにモンゴル時代には、モンゴル語やテュルク語で中央アジア方面をサルタウル Sarta’ul またはサルタグル Sartaγul などと呼んでいたそうだ。

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4月 22nd, 2014 at 4:37 PM

ザマペッツ

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マペットと人間が共存する世界。人間のゲイリーとマペットのウォルターは非常に仲の良い兄弟。しかしマペットであるウォルターは人間のように成長をすることができず、ゲイリーたちに引け目を感じていた。そんな中出会ったのが、ゲイリーに奨められて鑑賞した、カエルのカーミット率いる「マペッツ」が出演する「ザ・マペット・ショウ」であった。

マペットが活躍できる世界が存在することを知ったウォルターは大きな衝撃を受け、「マペッツ」、中でもカーミットの大ファンとなる。以後「マペッツ」を心の支えにして元気に暮らしてきた。

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4月 21st, 2014 at 9:58 AM

原子力潜水艦

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原子力潜水艦の構造は、もう一方の代表的な潜水艦の推進動力方式であるディーゼルエンジンを備えた通常動力型潜水艦と基本的な構造の点では同様である。すなわち、いずれも、船体は涙滴型や葉巻型をしており、船体上部前寄りにセイル、その側面か船体前部側面に潜舵を持ち、艦尾のスクリュー・プロペラで推進する。原子力潜水艦と通常動力型潜水艦との大きな違いは、スクリューを回転させるためのエネルギーの発生源である。

原子力潜水艦では原子力すなわち核分裂により生成される核エネルギーが推進に利用されるのに対し、通常動力型潜水艦でのそれはディーゼル機関を作動させるための化学的熱エネルギーである。その違いを反映し、原子力潜水艦は通常型潜水艦より複雑な構造となっており、船体も大型となる。また、その運用を比較すると、通常型潜水艦が沿岸域での運用を比較的得意とするのに対し、原子力潜水艦はより広い外洋域での運用を得意とする。ただし、これらの運用は専門化している訳ではない。

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4月 18th, 2014 at 9:29 AM

日本の寺院

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各地にひっそりとたたずむ寺院は、寺院近在を中心とした檀家と呼ばれる信者を抱え、墓地を保有・管理しているものが多い(檀那寺)。これら小規模な寺院は、神社と異なり檀家以外には門を閉ざしている場合が一般的である。これは他国には見られない日本独特の形態であり、神道が「死」を忌むという観念(穢れ)の違いから一種の棲み分けが進んだ結果である。葬式仏教、日本の仏教も参照。

一方、奈良や京都などにある著名な寺院は、信仰や観光の対象として広範囲に参拝客を集める。長い神仏習合の影響により神宮寺や、仏教の仏も祀る(正確には同一視、本地仏)とされる権現(熊野権現・山王権現など)の存在もあって祈願対象としての社寺の境は極めて曖昧である。神社仏閣などと言うこともある。

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4月 17th, 2014 at 9:30 AM

絶滅の危機

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今現在、サイは5種ほどあり、そのすべてが絶滅の危機に瀕しているという。

あらかじめ角を切り落としておくことで密猟されないようにする保護対策が行われている様だが、どちらにしても可哀そうな話だ。

頭部には1本または2本の硬い角を持つ。成分を見ると角は骨ではなく、むしろ人間の髪の毛や爪に近い。表面から中心部までの全体が、体毛や蹄と同じく、皮膚の死んだ表皮細胞がケラチンで満たされてできた角質で構成されている。

そのためウシなどの角とは違い、折れても時間が経てば再生される。動物園では飼育員の安全のため(主な用途が外敵排除でないとはいえ、暴れると角を振り回すことがあり、ぶつけられると死傷も在りうる)、野生および保護区では角を目当てとした密猟防止のために、意図的に角を切り落とすこともある。

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4月 15th, 2014 at 9:27 AM

ラテン語

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元々は古代ローマ共和国の公用語として広く普及した古代言語である。西ローマ帝国滅亡後もラテン語はローマ文化圏の古典文学を伝承する重要な役をはたし、勢力を伸ばすキリスト教会を通してカトリック教会の公用語としてヨーロッパ各地へ広まり、祭祀宗教用語として使用されるようになると、中世には、中世ラテン語として成長。

ルネッサンスを迎えて、自然科学・人文科学・哲学のための知識階級の言語となる。さらにラテン語は、読書き主体の文献言語や学術用語として近世のヨーロッパまで発展存続。現在もバチカンの公用語であるが、ラテン語の文章は、日常ではほとんど使われなくなったとはいえる。しかし、各種学会・医学・自然科学・数学・哲学・工業技術など各専門知識分野では、世界共通の学名としてラテン語名を付けて公表する伝統があり、新発見をラテン語の学術論文として発表するなど、根強く用いられ続けている。

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4月 14th, 2014 at 8:29 AM

新交通システム

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日本の「新交通システム」は、高架を用いたゴムタイヤ式AGT、鉄輪式リニアモーターカー(ミニ地下鉄で採用)、磁気浮上式のHSST、ガイドウェイバス・IMTS・モノレール・スカイレールなどの都市中量輸送システムが含まれていると考えられている。

そのうち、ゴムタイヤ式AGTが現在最も普及している。日本のAGTは1981年、神戸新交通ポートアイランド線に初めて無人運転の営業路線として導入された。

日本で新交通システム・都市モノレール等の事業者は、補助金交付などの関係から第三セクター鉄道会社あるいは地方公営企業(交通局)といった公的組織が多く、純民間企業による路線は、モノレールの東京モノレール羽田空港線、舞浜リゾートラインディズニーリゾートラインの2路線と、AGTの山万ユーカリが丘線、西武山口線の2路線、スカイレールのみである。新交通システムは、法規上鉄道事業法の「鉄道(案内軌条式鉄道)」または軌道法の「軌道(案内軌条式)」となるが、いずれか一方の法規に基づいている場合のほか、道路占用や開発事業(主に港湾地区)に係る補助金などの関係で両方の法規が混在している場合も少なくない。また、都市計画法の定める都市施設では、新交通システムは都市計画道路のうちの「特殊街路」に分類される。

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4月 10th, 2014 at 11:07 AM

ロベルトムージル

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父アルフレートは1846年にハンガリー・バナート地方のテメシュヴァールに生まれ、後にグラーツに移住した。母ヘルミーネ・ベルガウアー Hermine Bergauer はオーバー・エースターライヒ州出身である。 アルフレートは、エンジニア、専門学校の校長を経た後、1890年からブリュン工科大学機械工学の教授、1817年には世襲貴族の称号を与えられる。ヘルミーネの祖父も、有名なエンジニアである。ロベルト・ムージルはオーストリアのクラーゲンフルトに生まれる。

元々チェコから移住した家系の為、ムシル、ムジール等様々に発音され、日本の邦訳や研究でもいくつかの異なった表記が行われているが、近年はおおむねドイツ語読みのムージルで定着していると言ってよい(本来のチェコ語の発音ではムシルである)。

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4月 8th, 2014 at 2:25 PM

高句麗の建国

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『魏書』と『三国史記』によれば、高句麗は紀元前37年に夫余の王族である朱蒙(チュモン)により建てられたとされる。朱蒙の母は東扶余王の金蛙と出会った際に、黄河の神の娘を自称し遊びに出た先で天の子と出会い軟禁されていたと訴えたが、信用されず東扶余王の元に連れて行かれた。やがて娘は太陽の光を浴びて身篭り、卵を産んだ。

金蛙は卵を動物に食べさせたり踏ませたりしようとしたが動物や鳥は卵を守ったため卵を母親へ返し、暖めていると朱蒙が産まれた。朱蒙は子供の頃から非常に弓が上手く(朱蒙は弓の名手の意味)、これを危険視した夫余の人々は朱蒙を殺すよう勧めるが王は拒んだ。その後、馬飼いをしていたが策略によって王を駄馬に乗せ自らは駿馬を手に入れると、夫余の人々は再び朱蒙の殺害を企てるが、危険を察知した母の助言により友と共に脱出して卒本へ至り高句麗を建てたという。

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4月 3rd, 2014 at 7:52 AM

松村謙三

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松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年(明治16年)1月24日 – 1971年(昭和46年)8月21日)は、戦前昭和から戦後昭和にかけて活躍した政党 政治家。戦前は立憲民政党に所属して衆議院選挙で連続6回当選、戦後いったん公職追放になるものの、追放解除後に改進党から自由民主党に所属して衆議院選挙で連続7回当選を果たした。東久邇宮内閣で厚生大臣兼文部大臣、幣原内閣で農林大臣、第2次鳩山一郎内閣で文部大臣。

富山県福光町(現在の南砺市)出身。従二位 勲一等旭日桐花大綬章。

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