松村謙三

松村 謙三(まつむら けんぞう、1883年(明治16年)1月24日 – 1971年(昭和46年)8月21日)は、戦前昭和から戦後昭和にかけて活躍した政党 政治家。戦前は立憲民政党に所属して衆議院選挙で連続6回当選、戦後いったん公職追放になるものの、追放解除後に改進党から自由民主党に所属して衆議院選挙で連続7回当選を果たした。東久邇宮内閣で厚生大臣兼文部大臣、幣原内閣で農林大臣、第2次鳩山一郎内閣で文部大臣。

富山県福光町(現在の南砺市)出身。従二位 勲一等旭日桐花大綬章。

悟り

中国南宗禅の鼓吹派が喧伝した「頓悟」が誤解を交えながら日本にまで伝播し、これが日本仏教の「悟り」や「悟る」という表現の混乱に拍車をかけたことは間違いない。中国の禅宗は「悟」をもっぱら「廓然と大悟した」などの表現で用いるが、これは修道の証得を示すものである。中国禅の六祖とされる慧能も頓漸の別は修行の遅速の問題に過ぎないとしていることから、慧能以降に禅風鼓吹の標語「(頓)悟」が混乱を引き起こしていったと考えられる。

日本の仏教に限らず漢訳仏教圏やその影響を受ける地域では、釈迦は悟りもしくは解脱を求めて出家したとするのが通教的な教えとなっているが、阿含部の大般涅槃経(大パリニッバーナ経)には、釈迦は善なるものを求めて出家したと釈迦自らが語る形式で説かれている。